浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1035話

京浜組 慶岸寺 林田 康順

 近年、遺伝子研究が盛んです。数年前、「人間の遺伝子の99.5%は、誰しも共通である」という新聞記事を目にしました。当初私は、「0.5%の違いしかないのかな?」と感じました。なるほど、一見すると人間は、背の高い方・低い方、太っている方・やせている方、肌の色など、実にさまざまです。
 人の能力もそうです。4年前、ニューヨークヤンキースの松井選手が4年間で56億円もの契約を結んだことを詠んだ、こんなサラリーマン川柳がありました。「年収は 松井選手の 一打席」。1年換算でなんと16億円ですから、たとえ1千万円の年収でも、松井選手の100分の1にも及びません。ですから、サラリーマンが1年365日、汗水流して働いた年収が、松井選手が三振しようが内野ゴロだろうが、その1打席分しかないというのです。このように、人間の身体や能力の差はかなりあるようです。
 しかし、よくよく考えてみれば、次のようなことも言えます。ご飯やお野菜、お魚やお肉を食べると知らぬまにそれらが私たちの血となり肉となり、日々のエネルギーとなっていきます。あるいは、深い眠りについていようとも、私たちの肺や心臓は一瞬も休むことなく働き続けています。こう見てくると、たとえどんなに優秀な方でも、99.5%の遺伝子はこんな私とまったく同じであるという事実も実感としてうなずけます。私たちは、残りの0.5%の枠内で切磋琢磨を繰り返しているのです。
 遺伝子という言葉などありませんでしたが、法然上人の人間観はこうした視点に非常に近いものです。私たち人間の努力が大切なことは言うまでもありません。100点満点を取るのは素晴らしいことです。けれどもそれは、私たちをお救いくださる阿弥陀さまの目から見れば、0.5%の範囲内の話です。「俺は悟ったぞ!」と声高に言いつのる方がいようとも、阿弥陀さまからすれば、所詮、「どんぐりの背比べ」に映ることでしょう。浄土宗の教えを学ぶ私たちにとって必要なのは、阿弥陀さまの前では、人は皆、弱い心、煩悩を断ち切ることなどできない存在であるという謙虚な心がけなのです。
 次回は、5月1日にお話がかわります。