浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1051話


 秋も深まりお十夜の季節となりました。
 枯葉が散り急ぐのは、来る春の芽を急いで育てるためです。雪が降り積むのは、来春、田や畑に必要な水を蓄える為です。人は、病気になってこそ、健康だったことのありがたみが分かるというものです。落ちぶれて、苦労して人の情の熱さに気づきます。
 私は「死」ということを考えたことがございます。初めて「死」と向き合ったとき、後悔や懺悔が大きくなり、不安になり、恐ろしくなりました。なぜ、不安になるかといいますと、死後の世がどういう場所なのか、自身がどういう状態になるなか、全く分からない世界だから不安にもなるし、恐ろしくもなるのです。それが、死後に対する考えが、諦めや悪い方へ考えてしまうと、「どうせどうなるか分からない死後の事は置いておいて、生きている時ぐらい好き勝手にしよう」という身勝手な心が産まれてくるのではないでしょうか。また一時であっても邪まな想像、考えをしてしまうのが人間であります。だから私達は、正しい教え、正しい信仰に目覚めなければならないのです。
混迷を深めていく一方の現代社会、まるで法然上人がおられた時代とよく似ています。浄土宗の根底となる教えは、「万人平等救済・共生・非暴力」です。この教えが実現できれば、人々も安心して暮せるのです。
法然上人が御往生の際に残された「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」とのお言葉。このお言葉には、法然上人の阿弥陀様に対する信頼が凝縮されております。
この教えとお言葉を忘れずに、いつも意識して「お念仏」していれば、いつかきっと笑顔で毎日を暮らせる日が必ずくるでしょう。
 平成二十三年は宗祖法然上人の八百回忌の年になります。
 次回は十月十一日にお話が変わります。