浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1061話

金台寺 奥田昭應皆様のご家庭では、新年の初め、お屠蘇をお飲みなりましたか。
お屠蘇という漢字、実は、お正月のお祝いには少し似つかわない字を書きます。お屠蘇の「屠」は、「屠殺」の「屠」で、動物を殺してその肉を割くことを意味します。物騒ではありませんか。ばらばらにして殺すなんて。
お正月は、新しい年を迎えるお祝いと共に、旧年を振り返る反省の機会でもあるのです。至らない私が、愚痴のつきない私が、それでもどうにかこうにか、お蔭様で新しい年を迎えさせて戴いた。目に見えない、量り知れないお蔭様と、お互い様の御縁に支えられて、ここまで来れたのです。
自分のご都合がすぐ先になってしまう私。自分のことを棚にあげて、他人様をつかまえては、「あの人はいい加減だ、あの人は嘘つきだ」と、なんと沢山の人を悪人に仕立てたことでしょう、何と沢山の人を押しのけてきたことでしょう。このいけなかった私を一つ一つ、振り返って思い出し、その一つ一つを懺悔して、退治していく。
余計なことや辛いことを言ってしまったこともお詫びするのです。
随分と無駄に食べ物も捨ててしまったかもしれません。お互い様の尊い命なのに、これもお詫びしなくてはなりません。
このように、見えないご縁、阿弥陀様の尊い慈悲の心に見守られて、至らない私が日々を頂いているのです。少しぐらい、真っ直ぐ、人の道を歩いてゆかないと、仏さまに申し訳ないじゃないですか。また、バチがあたりますよ。己れの進むべき道を今一度正してみる。
己れを正す月、だからお正月。
御屠蘇の「蘇」は、「蘇生」の「蘇」。「よみがえる」と書きます。命が生まれ変わるという意味です。
正しい人の道、頑張って歩んでゆきませんか。
ちなみに、鏡餅の上に飾るのはみかんではなく「橙ダイダイ」。「先祖代々家が栄えてゆきますように」という願いもあるかもしれませんが、辞典を引くと「橙」は「回春橘」とあります。柑橘系の中でも「橙」は特種で、春暖かくなるまで、実が落ちないと、枝に残った橙の実は、また緑色に戻って行くそうです。仏様の命を戴いた「本当の私」に帰らさせて頂く。そう願った古の人が、「生きていく中に何が大切なのか」、そんな話を子供たちにお話をして聞かせたのかもしれません。

次回は1月21日にお話が変わります。