浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1092話

私たちは南無阿彌陀佛と口にお称えするお念佛を申し上げることで、今生での命を終える時には阿彌陀様に迎えられて、極楽浄土で新しい生を受けることになります。

なぜ私たちは数ある佛教の修行法の中で、お念佛を実践するのでしょうか?――
法然上人の『一紙小消息』には「諸行の中に念佛を用うるは、かの佛の本願なる故なり」と、その答えが記されております。
お念佛こそ、阿彌陀様が菩薩としての修行時代に全ての人をもれなく救わんとされた誓いでありました。とりわけその第18願文は、このような内容の誓いです。
「もし私が佛となったならば、十方(ジッポウ)の世界にいる全ての人々が、真実の心をこめ、深く信じて、私の浄土に生まれたいと願い、南無阿彌陀佛とわずか十声(ジッショウ)さえ称えても、もし生まれることができなければ、私は決して佛にならない」
そう、お念佛は阿彌陀様おん自ら私たちにくだされた素晴らしい贈り物だったんですね。

お念佛はいつでも、どこでも、誰でも実践できる行のあり方です。阿彌陀様の前では富める者も貧しい者も、若い方もお年をめされた方も、健康な方も病を患っている方も、その違いはありません。皆、等しく「阿彌陀様」と「私」と云う一対一の対応関係に入るんですね。
私たちが阿彌陀様の方を向いて、南無阿彌陀佛と呼びかける時、その真剣、切実な一声、一声は確実に阿彌陀様のもとへと届いているのです。
たとえてみますと、お念佛は「阿彌陀様」と「私」をつなぐホットラインです。直通電話です。難しいボタン操作はいりません。受話器を上げて「助けてください」とお願いすれば良いのです。合掌してお念佛をお称えすれば良いのです。
阿彌陀様も我が名を称する者があるかと、昼夜となくお聴きになっています。
「南無阿彌陀佛」と声に出すのは、迷い子が母を探して「お母さーん」と叫ぶようであり、その声を聞いた母親が、直ちにその声のもとに駆け寄る姿とも似ているかもしれません。
子は親の背中を見て育つと言います。どうぞ皆様、阿彌陀様から頂戴したお念佛のみ教えを周りの縁ある方にぜひ伝えていっていただきたいと思います。

次回は12月1日にお話がかわります。