浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1093話

時間は本来止まることなく切れ間もなく流れていくものですが、人は昔より時間に区切りをつけてきました。一日、一月、一年とか、学校での一学期二学期、あるいはスポーツなどでは前半戦後半戦とか言った具合に時間に区切りを持たせました。

それは時間の長さを共通に理解するためだけではなく、時間をより良く大切にするための人間の知恵が宿っていると思います。

例を挙げれば、スポーツの試合を前半と後半に区切ることで、前半の試合結果を分析し、後半の作戦を立てるのに役立ちます。選手達も体を休め、新たに闘志を燃やして後半戦に臨む事で、選手だけでなく見る側も飽きることなく緊張と興奮を楽しめるのです。

過ぎた時間を顧みて、未来に計画を立てて時間をより良く大切にするために区切りは必要なのです。

もうすぐ一年の終わりと一年の始まりと言う大きな区切りがきます。人は誰しも新しい年が良い年であることを願います。そのためにほこりを払い、仕事を取りまとめ気分を一新して新しい年を迎えようと支度します。

一年の区切りはこれからも何度となく来るでしょう。しかし自分がこの先あと何回一年の区切りを迎えられるかは誰にもわかりません。言い換えれば死ぬと言う命の区切りは、必ず来ますが一度きりです。しかもいつ訪れるかわかりません。どうなるのかも分かりません。分からないと言うことは不安に繋がります。私達はその不安を死んだら終わりだとか、その時はその時だと自分をごまかしてしまいがちです。

宗祖法然上人は、南無阿弥陀仏と念仏をお唱えして阿弥陀仏に救いを求めれば、極楽浄土というすばらしい世界が未来永劫に開かれるとお伝え下さいました。ですから毎日のお念仏に励み、いずれ訪れる死と言う区切りをしっかりと受けとめ、支度は調えてあると言う大きな安心のもと、迎えさせてもらえる一日一日を感謝して過ごして参りたいものです。その積み重ねこそが悔いのない人生に繋がるものですから。

次回は12月11日に変わります。