浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1101

京浜組 教安寺 野呂幸裕上人

寺に居りますと日々、色々な方が門をくぐり本堂の前で手を合わせからお墓へ向かわれる方、玄関に線香を求める人、ガラス越しに見ているとその足どりはそれぞれです

またこの日初めてこの寺へ入られる方も多くあり、境内を見てそのまま去る人も有れば、 昨日までは見えなかった「縁」がこの寺と出来てまた明日へと進んで行く人もいらっしゃいました

先日「俺は神も仏も信じない」と言ってふらっと訪れた方が「人生相談をしたい」というので話を聞き始めると10分位でしょうか、だんだんと泣き始め今ある気持ちもボロボロと溢れてきました

思うに「誰も聞いてくれる人」が居なかったのでしょうか
その後1時間位は他愛もない話などもして、来た時に思えた刺々しい感じは無くなり、「すっきりした」と寺を出て行かれました

しばらくするとまたその人は訪れ、また1週間すると、という風に近況を話しにやって来る内に訳あって距離ある一番気がかりであった「母親」が亡くなったと私に告げてくれました

「お母さんの為に法要を行いませんか?」とお勧め、お念仏の作法を説明し、2人で本堂へ向かいました
終始涙を浮かべ亡き母を想い、手を合わせ、お焼香、お念仏を称えていらっしゃいました

人にはそれぞれの機会が与えられ、例え空白の時間が在ったとしてもそれが訪れた時にきちんと向き合えば埋められる事もあります

そして新たな何かを得て違った日々を進める事も出来得ましょう

お檀家さんの中には向き合った時間の積み重ねで得られる深みあるお念仏をお称えする姿の方がいらっしゃいます

また今回、初めて向き合ってお念仏をする方を見て、その数 到底及びませんが
そこに「甲乙」が在るかと言ったら無いと言えるでしょう

次回は3月1日にお話が変わります。