浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1132話

光雲寺 慶野匡文

平成二十五年の新しい年を迎えました。平成も二十五歳ですが、最近、昭和の時の二十五歳時はどんな年だったかと歴史を振り返ることが多くなりました。昭和二十五年は朝鮮戦争が起こった年であります。冷戦がいきなり熱い戦争になった年です。この頃から日本は高度経済成長を遂げていくわけですが、そのたどりついた先は今日のような強欲資本主義のむくいで、身動きとれない状態になっています。まさにおろかな人間の姿がそこにあるといえましょう。さらには昨年以来、日本の国際的地位も含め、何とも不安底な情勢となっています。戦いのない平和な毎日を願うだけです。法然上人は、教えの根本として、我が身を見つめなさいとおしゃいます。他人のあらさがしは簡単にできるのですが、自分となると、全く自らが見えておりません。見ようともしないという事の方が的を得ておりましょう。見たくないほどに、自分は醜い姿です。それは無明という存在、わかりやすく言えばただむやみに真っ暗闇を動いている存在がこの自分なのです。どこへ足を向けてよいかも、どの方向へ進むかもわからない。したがって、思いのままに進みます。その思いのままというのが、生まれながらの根本的な欲であり、すべて自分中心に、自分に都合がいいように動き、その結果、その時その時の判断を誤って、ますます暗闇に分け入っていくのです。阿弥陀仏はそんな迷い疲れ果てた者へ声をかけます。必ずあなたを救いますよと。念仏を称えるほどに、阿弥陀仏がこっちですよと導いてくれます。真っ暗闇の中にあって、この声はどれほど心強く、頼りがいのある温かいお声でしょうか。今年も、阿弥陀仏に身を任せて生きる以外ありません。どうぞ、念仏の日暮し過ごして参りましょう。