浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1141話

常任布教師 金台寺 奥田昭應

毎朝の勤行で、私たち僧侶が読みます経文に、お釈迦様が説かれました『無量寿経・むりょうじゅきょう』の一節、「四誓偈・しせいげ(四つの誓い)」、というお経があります。
その中に、次の文言(もんごん)があります。
「為衆開法蔵 (イシュウカイホウゾウ) 広施功徳宝 (コウセクドクホウ)」
和文で読みますと、「衆の為に法の蔵を開いて、広く功徳の宝を施す」
さらに分かりやすく読みますと、
「生きとし活ける一切の衆生、すべての命の為には、法の蔵を開いて、広く施(ほどこ)すことこそ、最高の功徳、「宝」である」、と。
「広く施す」の「広く」とは、このくらいでとキリを切るような、そんなケチ臭いものではありません。
如来の慈悲の光明は、無量光(むりょうこう)、無辺光(むへんこう)といわれます。仏の慈愛は決して量り知れるものではなく、無際限にあふれたものです。また命を分け隔てるような区別もしません。いかなる所に暮らす命であっても、等しく、如来の慈悲の光明を蒙(こうむ)ることが出来るのです。
また「施す」とは、まさに布施の行いであり、「布施」という字が示しますように、大きな風呂敷がすべてを包み込むように、両手を一杯に広げて、ホドホドという際限をさらに超え、もったいないほど思いやりにあふれた行いです。
「法の蔵を開く」とは、仏法僧の三宝の中でも、「法」、すなわち、全ての命が天地宇宙の中、お互い様の中で、かかわって支え合って生きています。「お互い様のいのち」と受け取ってこそ、共生(ともいき)の中に、一切衆生、すべての命が生かされて生きていけるのです。
「仏にすがり唯だ祈るばかり」の私たちも、やがて、仏の心を頂いて、仏の心にそった、思いやりあふれた心をこの己れの内側に頂かなければなりません。
宗祖法然上人も、「行住坐臥にも報ずべし、かの仏の恩徳を」と、仰せになっています。
いつ如何なるときにも、恩に報いていこうとする心構えが大切です。
み仏さまと、少しでも心を同じくし、我執を捨てて、他の命の幸せの為にも、身を尽くして、思いやりにあふれた生活に努めることこそ、大切にすべき我が宝と心得よ、とお伝えになっている訳です。

次回は4月の中頃にお話が変わります。