浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1170話

港南組金臺寺 奥田 昭應

『命と向き合う』ということ
私は、何度となく宮城・岩手両県の被災地を訪問しています。
余談ですが、5月下旬、仙台市新寺での慰霊祭の中、お導師が「私たちは、自分達の町を、被災地と呼ばずに、復興地と呼びましょう。」という言葉がとても印象的でした。
さて、今年の3月11日は、宮城県石巻市門脇にございます浄土宗西光寺での慰霊法要に参列させて頂きました。遺族である檀信徒はもとより、被災で亡くなった方々に供養をささげたいと願う人々も合わさって、満堂となった本堂にお念仏の声が響きます。
三日ほど前から、多くの知人から、「3月11日は東北の被災地に行くのですか。」と尋ねられました。「久し振りに震災関連番組を沢山見て、涙が止まりませんでした。」と言う声も沢山聞きました。
しかし被災地では、三年目を迎えた今年の慰霊法要は、一昨年おととしや去年と大きな変化がありました。
それは、すすり泣いている方が一人もいなかったということです。
皆さんはこの変化をどのようにお感じになるでしょうか。
私たちが住んでいる神奈川県では、特集番組を見て、震災のことが身近に感じられ、三年の月日がたっても、人々の辛さや悲しみや、憂いが、あらためて自分のことのように思え、涙が出てきたと言うのです。
被災地の遺族たちにとって、毎月の11日も、大切な近親の命日です。
それがたまたま、今月が3月で、三年目と言うことだけなのです。
遠く離れて、津波で近親を亡くしていない私たちは、特集番組を見て、初めて、命と向き合っていたのではないでしょうか。
地震発生当時は、未曾有の震災被害ばかりに注意がいってしまい、被災地の一人一人を気遣うことが出来なかったのではないでしょうか。それが三年して、たまたま見た特集番組によって、被災地の一人一人とようやく向き合えたのです。
私は、被災地の数多くの人たちと食事をしながら対話を重ね、生の声を聞いてきました。
悲しさや寂しさ、また「自分だけが助かってしまった」という後悔も、一生離れる事はないでしょう。しかし、「先立った者の為にも今日を大事に生きてゆきたい」、そんな言葉を伺えたのが今年の慰霊法要でした。
次回は7月の始めににお話が変わります。