浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1179話

鎌倉組天然寺 関谷 泰然

11月にはいり、夜から朝がたにかけて、すっかり冷えこんできました。このように寒くなると、朝のお勤めなどはまるで、冷え切ったオートバイのエンジンが中々かからないように、声がかすれてしまったり、お念仏もついつい声がちいさくなってしまいます。
それでも自分のできる限りで、日常、お念仏をおとなえしておりますが、これを浄土宗では尋常の念仏といいます。この尋常念仏のほかに、臨終の念仏、別時の念仏というものがあります。
 臨終の念仏とは、いよいよ臨終の時を迎えようという時、菩提寺の和尚さんを仏壇前の床へ呼んで、授けていただくお念仏で枕経とは本来この時におとなえするお経をいいます。ただ、最近では病院で臨終を迎える、という方が多く、また、枕経も臨終後にご自宅で行うことがほとんどです。そのようなことから、いつ臨終を迎えても良いように、日ごろお念仏をとなえること、すなわち、さきの尋常念仏がより大切となってくるのです。
 今のところ、不老不死の薬はまだできていないようですので、だれしも、いずれはお迎えがくる、ということにはかわりありません。今、医療の技術がどんどん進み、日本は長寿の方々が大変、多くなりました。しかし、長い寿命をまっとうされるかたもいれば、若くして、こつぜんとお亡くなりになるかたもいます。
 お念仏をとなえるものは、たとえ臨終の時に煩悩、迷いが断ち切れなかったとしても、
阿弥陀様がこちらまでお迎えにきてくれて、お力を貸してくださり、ご先祖さまのいらっしゃるお浄土へ連れて行ってくださります。「お迎えがくる」という表現も浄土宗のこの教えがもとになっているといわれています。
 どうぞ、毎日生かさているという感謝をむねに、日々の尋常のお念仏に励んでいただけたらと思います。お時間になりましたので、別時の念仏については次の機会にお話させていたきたいと思います。
次回は11月の中旬にお話がかわります。