浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1189話

「魔がさす」という言葉があります。

大辞泉で意味を調べてみますと「悪魔が心に入りこんだように、一瞬判断や行動を誤る」とあります。

「魔がさして人の財布に手を出してしまった」というように、普段の自分であればやらないけれども、その時は悪魔にそそのかされてつい悪事を働いてしまった、といった感じでしょう。

では、この悪魔とは一体何者なのでしょうか。

お経には、お釈迦様の前に悪魔が現れた時のことが説かれています。

その悪魔は言葉巧みに、お釈迦様に怒りや貪りといった心を起こさせようと誘惑します。しかしお釈迦様は心を乱すことなく、悪魔が心に入り込むことを許しませんでした。

お釈迦様にとって「心に入り込もうとする悪魔」とは、「悪事を働かせようとする心」だけでなく、「怒りや貪りの心といった煩悩」も含んでいました。

私自身の生活を振り返ってみますと、常にあれが欲しい、これが食べたい、自分の思った通りにならないとすぐに腹を立ててしまう、といったことを繰り返しています。「魔がさす」どころか、普段から悪魔が心の中心となってしまっているのではないか、と思えるほどです。

そんな私たちに法然上人は、「煩悩は常に起こってしまうものである。しかし煩悩は心の客人としなさい。お念仏を心の主人としなさい」とおっしゃっています。

私たちの心は散乱して休むことはありません。一度カッとなると、興奮のあまり善悪の判断が付かなくなってしまう時がありますが、これなどまさに煩悩が心の主人になった瞬間と言えるでしょう。

しかし、大波にのまれた浮木が、ぐっと浮かんでくるように、普段からお念仏をお称えしていれば、「私の心の主人は煩悩ではない、お念仏であるのだ」という事を思い出し、煩悩に飲み込まれることなく、次第に心は静まってきます。

常にお念仏をお称えして、穏やかな心を保ち、時に魔がさしてしまったときも、すぐに懺悔し阿弥陀様の光明で清浄にしていただく、そういった毎日を送ることが大切であると思うのです。

次回は4月の中頃にお話がかわります。