浄土宗神奈川教区テレホン法話 第666話
 
 昨年11月のことになりますが、私は総本山知恩院で開催された璽書道場と言う修行に行ってきました。璽書は、浄土宗最高峰の修行道場で、これを受けることによって五重相伝会の勧戒を許可されるものです。期間は1週間程で、1日を6つの時間に分けて勤行・礼拝を行い、残りの時間で講義を受けます。ほとんど自由時間もありませんし、自由な行動も許されません。私は、浄土宗の僧侶になるための加行と言う修行を受けて10年程になります。体がなまっているせいかとてもきつく感じました。修行していると、足や喉は痛くなりますし、好きな物を飲んだり食べたりしたくもなります。また、講義を聴いていると睡魔が襲ってきます。普段はなかなか感じることもなく生活していますが、このような不自由な生活をしていると、煩悩が次から次へと出てきます。自分が一凡夫であり、煩悩を断ち切ることが出来ないのがよく分かりました。こんなお話をしていると僧侶のくせにだらしないやつだと思われるかもしれませんが、現代、煩悩を断ち切る悟りを開ける人などまずおりません。私は、その時この浄土宗の教えはとても素晴らしいものだと感じたのでした。
 仏教には多くの宗派が存在します。法然上人以前の仏教は、お釈迦様の取り決められた色々な戒め、心を鎮める禅定、仏教の道理を知り極める智慧の3つの修行を完成出来なければ救われないと言う教えでした。法然上人は私たちが西方極楽浄土に往生出来るよう、もろもろの難しい行を選び捨てて、たやすい道である念仏往生の浄土門を選択されたのです。誰もが南無阿弥陀仏と称えることで西方極楽浄土に往生できると言う有り難い教えです。私は、この璽書道場を受けて、法然上人の説かれた教えが800年たった現在にもととてもマッチしている事、お念仏を唱えることによって、苦しい心は和らぎ、悲しい思いは鎮まり、腹立ちや怒りが安らぎに変わっていく事を改めて感じました。どうぞ、お念仏をお続けいただきたいと思います。
 
  前へ 年度メニューへ 次へ