浄土宗神奈川教区テレホン法話 第678話

 生活の中のお念仏のあり方として、四修の第一と第二について述べましたので、今回は第三の無間修と第四の長時修についてお話しします。第三の無間修というのは、何時、如何なる時でも途絶えることなく、お念仏をお称えし続ける、ということです。私達が一日に何編お念仏をお称えします。と仏様にお誓いするのを日課誓約といいますが、これも無間修のお念仏を行う一つの方法です。
 たとえば、一日一万遍お称えする誓いを立てた場合、朝の中にさっさとお念仏を一万遍お称えしてしまって、あとはお念仏の主旨と全くかけ離れた生活をしても良い、ということではありません。このことについて法然上人は、次のようにいわれています。
 但し、一万をもいそぎ申し、さて其の日をくらさん事あるべからず。
 一万なりとも一日一夜その所作となすべし。
 総じては一食の間に二三度ばかり思出さんはよき相続にてあるべし。
というのです。一万遍の念仏は一日24時間かけてお称えすべきであり、また食事中に二三度思い出してお念仏をお称えするようになれば、お念仏が本当に生活の中に根づいた、無間修の念仏になっているというのです。
 最後に第四の長時修ですが、これは前にもお話しましたように、お念仏の信仰に帰依されたその日から、この世の命を終わる時まで、これまで述べた恭敬修、無餘修、無間修の三修を中止することなく続けるということです。三修の一つ一つをいくら良くつとめても、途中でやめてしまっては何の意味もありません。このことについて善導様は「畢命を期となして、誓って中止せざる」ことが長時修であると述べています。法然上人はこの四修の中でも、第三の無間修が最も大切だと言っています。お念仏をお称えする数は多いにこしたことはないのですが、要は数の多い少ないではなく、お念仏の心が途絶えることなく終生相続することが最も大切であり、四修を説く目的だということです。

   前へ 年度メニューへ  次へ