浄土宗神奈川教区テレホン法話 第684話

 先日、境内の墓地を新しくされるお檀家さんがありました。そこにはちょっと大きな松の木があり、カロートを作るために掘ったところを見ますと、やはり根っこが少しじゃまになっていました。かわいそうですが根っこがけずりとられていましたが、その根っこを見てなんてきれいですばらしいものかと感動しました。葉っぱは落ちるし、墓石は持ち上げるしと思っていましたが、目には見えなかった根っこが、こんなに大きな木を支えていたんだなあとつくづく感心させられました。たとえ指の太さの木でも、何百年たった老木でも、根っこが支えているから倒れず、新しい芽もふいてくるのであります。植物が育つには光、空気、水などの自然の力、あらゆる要素が必要です。大地にしっかりと根の張った植物は、ものすごい生命力と安定感をもっています。私たちも、迷うことなく日々を過ごすには、南無阿弥陀仏とお念仏を称えて阿弥陀様のお名前を呼び、阿弥陀様の慈悲の光をいただくお念仏の中に、生活させていただきたいと思います。
 親が子供を育て、生きがいを感ずるのはいつの世でも同じことです。今日では、幼児虐待から、親に裏切られたとか、人を殺してみたかったなどという恐ろしい時代になってきました。先祖があり、両親があり、広い世間があってこそ、はじめて自分の生命があるのです。自分ひとりでこの世の中に生まれてきた、などという人はひとりとしておりません。子をもって知る親の恩と言いますが、先祖代々つながってきた生命、子供をもち、孫をもって広がる生命を敬う心を持ちたいものです。
 見に見える幹、枝、葉っぱの成長は我々が現在生きている姿であり、目に見えない根っこが、顔も知らず名前も知らない私たちの祖先であり、新芽が子供や孫ではないでしょうか。今、何ものにも変えがたい生命を祖先からいただき、そのおかげで生かされていることに喜び、心から感謝の念を献げたいものです。

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