浄土宗神奈川教区テレホン法話 第718話

 さる五月の末、私の寺の檀家三十人余りを連れて総本山知恩院へお参りに行って来ました。一泊二日のバスの旅で、梅雨のはしりの生憎の天気でしたが、檀家の皆さんの心は終始晴れやかで、思い出に残る参拝ができました。と言いますのは、総本山知恩院の中村康隆御門主に直々にお目にかかれ、真近にお顔を拝み、ご法話をいただいたからです。ご門主の声は本当にか細いのですが、とても力強く打ち寄せる波のように次々と話を続けられました。私たち一同は感激と緊張のあまり身じろぎもせず座っていました。ご門主は御歳九十六歳。最初、襖の戸が開いた時、私は赤い衣そ着た生仏がいられるのではと見間違う程でした。そのお姿は枯れ果てて神々しいの一語につきました。
 知恩院を後にしてバスに乗り込んだ時、檀家総代の一人が私にこう言いました。「私ね、あの御前さんの姿に浄土宗の究極を見たような気がするんですよ」。「へえ、どういうことですか?」「御前さんはあと何年生きられるのか分りませんけど、普通あの御歳だったら、今日はもう疲れたとか、今日は代わりに誰かやって下さいと言うんじゃないの?命が続いている限りは最後の最後まで自分の責任を果たそうとしていられるんだね」「ハア」「浄土宗の究極だね」エエ」と私は静かにうなずいて、うれしくなった。きっと他の人たちも言葉に表わせない感動を覚えたのではないだろうか。
 上、一形を尽くすという言葉がありますが、最後の日を迎えるまで一生、念仏を唱えるのが法然上人のみ教えです。生きることは念仏すること、念仏することは生きることです。私もあの中村御門主のように息の続く限り現役で生き続けたいと思います。

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