浄土宗神奈川教区テレホン法話 第826話

 つい先日自坊では、恒例のお施餓鬼法要がとり行われました。お寺の年中行事のなかでも一番に大きな法要であり、大勢の檀信徒の皆様のお参りがありました。
 来年もまたたくさんの方がお参りにみえることでしょう。
 しかしながら、昨年元気にお参り下さった方の中には、今年は新亡の精霊となって、まつられている方もあります。
 今年お見えの方々が、一人残らず来年のお施餓鬼にも元気でお参りいただけるでしょうか。残念ながら、必ずしもそのかぎりではございません。
 「諸行無常」の言葉のとおり、人の世は誠にはかないものであります。
 私は三十代のなかばでありますが、お陰様でこれといった病気もなく、毎日元気に生かさせていただいております。
 それでも時折自分の死について考えこんでしまうことがあります。自分は何の病気で死ぬのだろう、もしかすると交通事故かもしれないな。などと考えてしまいます。
 老若男女を問わず、人は常に死への恐怖やおそれと隣りあわせに暮らしているとも申せます。
 しかしここで、死というものを考えると同時に生というものも考えてみましょう。
 自分は本当に生きているのか、ということです。
 どんな人でも見捨てない、阿弥陀様の大きなお慈悲の光の中に生かされているということに気づき、感謝し、お念仏をお称えして日々の暮らしをさせていただくことこそ、本当に生きている姿なのです。

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