浄土宗神奈川教区テレホン法話 第854話

 葉桜の季節を迎えております。春に咲く淡い桜は人々の心をいろいろな意味で動かします。
 その美しさは長続きせず、数月のうちに散ってしまう無常の代表のような花だからこそ、多くの人の心を捕らえて離さないのでしょう。
 ある方のご葬儀の話ですが、故人は臨終近くに「桜が見たい」と言ったそうです。まだつぼみであった桜を今年も是非見たいと思われたのでしょう。
 毎年、当たり前のように桜が咲き、散り、葉桜となっていくその趣をいつも見ていたのに、今年はもしかしたら、はたせなくなるかもしれないと感じたのでしょうか。
 実際花開くことなくつぼみの桜の中を通ってその方は極楽へと向かわれました。
 桜の季節の死は、とりわけご家族の皆様には誠に辛かろうと思います。
 世間はお花見やらで華やいでおり、新たなスタートに希望あふれる季節でありますから、逆に悲しみも倍増しましょう。
 しかし、考えて見ますと、その故人が毎年、お浄土から桜という花を通して、無常を気づかせ、しっかり信仰をもって生活するのですよと知らしめてくれるのです。
 そのご長男様は「知識でしか知らなかった無常の現実を、故人である父が、桜の季節の死という形で教えてくれました。
 お念仏をいただく尊い縁ともなりました」とおっしゃられていました。
 この四月はお釈迦様も、浄土宗をお開き下さいました法然上人もお生まれになった月です。
 いずれ散りゆく桜という花と重ねてうけとりますと、常なるものはなし、形あるものは必ず消えてなくなると言う無常の現実を、桜はその身をもって示し、お釈迦様、法然上人は法をもってお示し下さったといえましょう。
 無常故にお念仏の道こそ進む道としっかり心にすえまして過ごして参りましょう。

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