浄土宗神奈川教区テレホン法話 第900話

 本堂にお供えしているホオズキの燃える様な色が目に沁みて参ります。
 佛法の念佛者として84年の生涯を布施の行に生き抜き、苦難の中にいる人々を心に灯りを灯し続けられた颯田本真尼の愛と献身に想いをはせ、お徳を偲んで参ります。
 ノーベル賞を受賞したマザーテレサさんの様な尼僧でいられました。
 本真尼は天災地変で困っている人達に対し、み仏の教えと共に、自ら出家でありながら財施、大切なお金や品物を施した方でした。
 本真尼のご生涯は明治23年、大津波が三河地方にあり、海岸は泥海となり死傷者も多く、自坊の徳雲寺の本堂も水に深く浸ってしまいましたが、百数十人の死者に向かい読経念佛された本真尼は、これからの生涯を難民救済に捧げる事を決意され、翌年起こった美濃地方の大地震、山形県酒田町の震災救助、翌年の三陸津波への救いの手、明治24年秋の美濃の震災から大正13年の藤沢町の震災救助の34年間、施しの行脚がたゆみなく続けられ、全国23の県にも及び、施しをした家6万軒余り、陰徳を積まれ心から心へ伝わる本真尼に帰依する信者の誠心と大勢のお弟子達の随喜の行により、この偉大な布施の行いが尼僧によりなされた事はまさに前代未聞の事と今に語り継がれて居ります。
 1928年に84才にて徳雲寺にて安らかにお浄土に旅立たれました。
 「身は比丘尼 心は生きた観世音 口に念佛颯田本真尼」
とは、ある信者の歌だそうです。
 老尼の生涯は、まさにこの一首に尽きている様です。
 尚、鵠沼にあります本真寺も老尼の建立でございます。
 本真尼は常に力強くお念佛を称えよとまわりのお弟子達に教え、しっかり合掌する事を優しい中にも力強く言われ、念佛信仰に生き抜かれ、大きな布施行をなし遂げられたのであります。
 老尼の辞世の歌、
 「たのもしや 生き永らへて 無量寿の 慈父の都に ゆくと思えば」
到らぬ私でございますが、お念仏をみ霊に捧げます。

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