浄土宗神奈川教区テレホン法話 第903話

生きるということ

 人間が生きるということは、毎日何かに感動し、感激することだと思います。
 私達はこの世に生を受け、同世代と共に生き、又、荒野の中の風のように、彼岸浄土に帰っていきます。大地は永遠に生きつづけて行きますが、この大地の上に生きる私達は、限られた期間しか生きることができません。
 思えば人間が造ることの出来る歳月というものは短いものです。この短い時間をどう生きるかということが、大きな問題となるわけです。
 人間、生きることの難しさ、また生きていることのすばらしさを、身をもって知らされている昨今です。世の中には、心豊かな味のある人もいれば、味のない人もいます。出来れば、味のある人になりたいと思っていますが、なかなか思うようにはいかないものです。
 随分高い学問がありましても、味のない寂しい人がいるかと思えば、さほど学問などないのに味のある人もいます。地位や財産なども、必ずしも人間の味に結びつかないこともあり、時にはむしろ逆行することさえ多くあります。
 いかに学ぶことの重要性・必要性が考えられます。多くのことを学び、多くのことを経験し、経験の積み重ねが知恵となり、知恵の積み重ねが人間としての味を生むのではないかと思います。
 ○他人の心の痛みや喜びを一緒に感じることが人です。
 ○人生には死よりも難しいことがあります。それは生きつづけることです。
 ○別れよりももっと難しいことがあります。それはつき合いつずけることです。
 ○魅力ある異性が存在するからこそ、この世に生きているのが、すばらしいのだといつも考えてます。
 ○人間としてせっかく生まれさせてもらたのですから、せめてこの世に生きている間に、自分が生きていることの本当の意味を考えてほしいと願います。
 人間が生きるということは、毎日何かに感動し、感激していくことだと私は思います。昨日は気づかなかったものに、今日は新たな発見をして感動します。
 年とともに顔にしわは出来ますが、心の中にしわはつくりたくありません。心の中にしわが出来た時、人間は感動しなくなるのではないでしょうか。
 感動・感激にお金はかかりません。社会的な地位や肩書きも一切関係ありません。一生感動いっぱい、感激いっぱいの人生を送りたいと思います。合掌

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