浄土宗神奈川教区テレホン法話 第946話

港北組 桂林寺 永田 英司 ときどき外国の方とお話をさせていただくと、誰もが「日本にはとてもいい言葉がありますね」と、みな同じことを言うのです。それはご飯を食べるときの「いただきます」という言葉です。 私たちは両親からこの言葉を言うように小さいときからしつけられ、今ではその意味を考えることもあまりありません。習慣として身についているわけですが、では誰に向って「いただく」と言っているのか、そこまで意識することは普段はあまりないのですね。 この言葉はまず、食べる物をもたらしてくれた人への、感謝の気持ちでしょう。お米や野菜をつくってくれている農家の人たち、そして魚を獲ってくれる漁師さんたちへの、感謝の気持ちです。自分たちの代わりとなって彼らは食べ物を確保してくれるのです。 しかし農家の人や漁師さんもまた、自分たちの都合で、勝手にお米や魚を手にしているのではありません。苗を植え、稲穂を刈るまで、畑をていねいに管理するのは農家の仕事ですが、十分な雨と太陽がなかったら、彼らはお米を育てることも出来ません。漁師もまた、海がもたらしてくれる恵みのほんの一部に、船を出して授かっているのです。 ですから「いただきます」という言葉は元をたどると「自然そのもの」に感謝をする気持ちの表れなのですね。自分もまた自然の一部であり、生かされてありがとう、ということです。これは普通のことのようにも思えますが、外国のひとたちにお聞きしますと、海外にはこういった言葉はないというのです。彼等も食事の時には手を合わせますが、それは神さまに対してであって、自然そのものに向けられたものではないのですね。 自然からいのちをいただくことによって生かされていることを日本人は昔から大切にしてきました。その心を「いただきます」という気持ちに乗せて、毎日を生きていきたいと思います。