浄土宗神奈川教区テレホン法話 第947話

港北組 桂林寺 永田 英司 秋の夜長、日が沈み夜の訪れる時間が、刻一刻と早くなってきました。空を赤く染める夕陽にも、晩秋の気配がよりいっそうにしのび寄っている今日この頃です。 ところで先日、友人から興味深い話を耳にしました。いまの小学生は、空を見ないというのです。とある機関が調査をしたところ、「太陽が沈むところを見たことがある」と答えた小学生は、実に2割しかいなかったそうです。子供の頃、空ばかり見上げていた私は、この話を聞いて驚いてしまいました。そして夕陽さえ見ることのない現実に、少しだけ哀しくなってしまいました。 見上げようとさえ思えば、空はいつだってそこにあります。朝の空と白い雲、日中の太陽のきらめき、そして色を変えてゆく夕焼けの空・・・・それを子供たちが目にもしないのは、子供たちの心のなかに、「空」がなくなっているからなのでしょう。塾が忙しいのでしょうか、それともゲームや携帯のメールに釘付けなのでしょうか、子供たちは空をわすれてしまっているのです。 もしかしたらそれは、私たち大人にも理由があるのかもしれません。私たちもまた、そこに空があることをあたりまえのように思って、格別の想いなど抱かずにいるかもしれないのです。ですから子供が忘れてしまったものをまず、私たちから先に思い出したいと思います。そして空を見たときに感じたことを、子供たちに伝えてみるのはいかがでしょうか。 これは親と子供に限ったことではないように、私には思えるのです。誰かが何かを忘れていたり、忙しくて大切なことに気づかずにいるとき、それを責めるのは簡単です。しかしそのことを指摘するのではなく、自分も一緒になって考えて、失われたものをもういちど思い出してみる。そうすると、今の世の中も、もっと生きやすくなるように思えるのです。