浄土宗神奈川教区テレホン法話 第956話

「涅槃会」

仏教にはどんな宗派に属していようとも仏教徒である以上、絶対に忘れてはならない記念日が年に三回あります。まず、四月八日の「花まつり」、お釈迦様のお誕生日です。次に十二月八日の「成道会」、お釈迦様がお悟りを開かれて仏様になられた日です。そして二月十五日の「涅槃会」です。これを「三仏忌」といいます。 二月十五日はお釈迦様のご命日で「涅槃会」といいます。 涅槃とは梵語で「ニルバーナ」を漢字にあてはめた音写語で、本来の意味は「火を吹き消した状態」のことです。 平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、、、」の言葉のように、お釈迦様は、沙羅の林で阿難をはじめとする多くの弟子達に見守られ、おごそかに涅槃にはいられました。先ほど申しましたが、涅槃とは吹き消す、吹き消した状態をいい、煩悩の炎を焼き尽くし、迷いがない悟りの境地をいいますが、お釈迦様のご入滅をさす言葉でもあります。 お釈迦様のご入滅の様子は大涅槃経や遺教経に説かれており、また涅槃図には四本の沙羅双樹のもと、宝台の上に北を枕に西にお顔を向けたお釈迦様を囲み、諸々の菩薩や弟子、国王、婆羅門、在俗の男女、さらには鬼神、動物、昆虫までもが悲しみにうちひしがれてている様子が描かれています。 涅槃経には「お釈迦様がお亡くなりになったら私たちは何を支えに生きていけばよいのですか?」という質問にお釈迦様は「法と自分自身という二つを頼りにしていきなさい」とお説きになられています。 法とは仏様のみ教えです。仏様の法門は八万四千あるといわれ、お念仏の教えもその一つです。そして仏様の法を聞き、それを信じ、行をおこない、それを守り続ける自分自身も、とても大切なことです。 お釈迦様は我々末法の世の人間の事を鑑みて、「いかなる罪人であろうとも私の名を称えるものは、必ず救います」という大慈悲心の阿弥陀様のことをお説きくださり、私達にお念仏をお勧めくださいました。 ぜひ二月十五日は、お釈迦様の修行とご苦労を偲び、悟りの功徳であるお念仏を一心にお称えしましょう。

次回は二月二十一日にお話がかわります。