浄土宗神奈川教区テレホン法話 第960話

高座組 宮本明薫

「露と落ち 露と消えにし 我身かな なにわのことも 夢のまた夢」秀吉の辞世の歌と云われています。そうです栄子さんにとってご主人の死は、露の身、夢としかそれも悪夢としか思えない、今でも信じられないことであります。  朝起きてみたら寝床でご主人が冷たくなっていました。そういえば前の晩ずいぶん鼾をかいているなと思われたそうです。  諸行無常とはまさにこの事でしょう。今まで他人事と考えていた死がこんなに身近にそれも突然にやってくるなんて。主人が居て当り前、思えば随分ワガママも云ってきた。それを黙って受け止めていてくれた。一方、私の方といえば心からやさしく接した事があっただろうか。ごめんなさい、ありがとう、反省と感謝の交差する思いで胸がいっぱいになったそうです。  毎朝お仏壇に手を合わせ、夫ヘの感謝、自分の至らなさを思い、悲しみの底から自然にお念仏が出てきたといいます。夫がこの世で残してくれた様々の事が次々浮んでは消え、みんないい思い出となりました。  愛別離苦、愛する人との別れは時、ところを選ばずいつ来るかわからないのだよ、という事を最後の死の悲しみを通して夫は私に教えてくれたのだと思います。  今は写経をやってます。一字一字に夫への感謝の心を込めて書いていると、電話の向うで少し元気をとり戻した栄子さんの声がしました。  露の身に無常の風はいつ吹くかわかりません。先立った人の面影を偲びご回向すると共に、儚さの裏打ちがある人生だからこそ、残された人は今を懸命に生きるのではないでしょうか。