浄土宗神奈川教区テレホン法話 第963話

あと3年しますと、浄土宗をおたてくださりました法然上人がおかくれになり八百年という節目の年がやってきます。八百年前、ご臨終2日前にお弟子様であります源智上人の願いに応じてお念仏のみ教えの根幹を示されました。横にされていたお体をおこし、一枚の紙にしたためてくださいました。いわゆる一枚起請文といわれる上人様のご遺訓であります。上人はお念仏で救われると多くのお方に説き続け、生涯にわたってご自身自らがお念仏を申したわけでございますから、「お念仏を称えよ」というのはわかります。ただ、その前に大切な一言をおつけいただいております。それが、「智者のふるまいをせずして」という一言であります。智者のふるまいをせずしてお念仏を申すのですよとお諭しなのです。それはどういうことかと申しますと、私どもは何でもわかったようなふるまいをし、自分のもっている物差しだけで、ああでもないこうでもないと判断しているというのです。そのおろかな行為では仏のおっしゃることなど、とうてい理解できようもないわけで、ともすれば仏や仏の教えを疑うことにもなってしまうというのですね。考えてみますと、皆様どうでしょう。人それぞれ顔、形が違うように、自分の経験、体験だけでできあがっている自分特有の、どうにもたよりないものさしで、仏様のことなど確かにわかるはずがございませんよね。そのものさしではかって、自分の知らないことは信じられない、自分が見たことないものはあやしいなどと言っては、結局救いの教えからもれてしまいかねないのです。法然上人は当時智慧第一の法然房とまで仰がれたお方です。そのお方が自分は愚痴無知だとおっしゃる。法然上人ほどのお方がですよ。いたらない自分と見つめ、ただ一向に念仏するためにも智者ぶってはいけないと私どものことを知り尽くして言われたのです。何でも合理的で便利な世の中だからこそ、とりわけ智者ぶる自分を見つめるべきですね。八百年を迎えるその年がデジタル放送開始の年でもあります。新しい時代を受け入れる前に、八百年続いているお念仏のみ教えをしっかり受け取ることが先決であります。

次回は5月1日のお話が変わります。