浄土宗神奈川教区テレホン法話 第990話

高座組 上田真彦

 新しい年を迎え、半月以上が経ちました。 さて、我々の日常生活において、しばしば見受けられる「嘘をつく」という行為、皆様はどのように解釈されていらっしゃるでしょうか。「嘘つきは泥棒の始まり」と、よく言われるように、あまり良い行為としてとらえていないのが正直なところではないでしょうか。  これは、ある航空会社の客室乗務員と乗客とのやりとりです。1人の乗客が客室乗務員を呼び止め、「ニューズウィークはあるかね」と尋ねると、客室乗務員は「少々お待ち下さい」と言って、奥へ下がりました。数10秒後、その客室乗務員はその乗客のもとに行き、「申し訳ございません、只今切らせております」と丁重にお答えしました。実を言うと、この航空会社では元々その雑誌の取り扱いはありませんでした。この客室乗務員は乗客に嘘をついたことになりますが、嘘をつかず、事実をありのままに、「申し訳ございません、当社では取り扱っておりません」と答えたら、どうだったでしょう。その乗客は、たとえ相手に悪気がないと分かったとしても、どこかで自分の要求を否定されたという気まずい雰囲気から心にシコリが残ったかもしれません。  嘘をつくということ、それは事実や自分の心の内と異なるものを述べること。人を騙すこと、陥れることに直結することばかりではありません。逆に、事実や心の内を正直にありのままに述べることが、時には、嫌みや皮肉のような仕打ちとなることもあるのです。法然上人のみ教えに「無財の七施」があります。財産がなくてもできる7つの施しのことで、その1つに「心慮施」、これは、相手のために心を配り、思いやりをもって行動する施しです。「嘘つきは泥棒の始まり」でなく「嘘つきは思いやりの始まり」となるよう、皆様も「優しい嘘つき」になって下さい。