浄土宗神奈川教区テレホン法話 第993話

浄青 小松崎成淳

 むかし、独りの老人が暮らしていました。 朝夕の野良仕事の行き来には、必ずお寺に立ち寄り、お念仏をとなえる毎日でした。 村の若者たちは、そんな老人を日頃から馬鹿にしていました。  ある日、 「なあ、爺さんよ、お前はその齢になって地位も名誉も財産もない。本当につまらない人間だな。爺さんを金の値(あたい)にたとえるなら最低の一文銭(いちもんせん)だ」 と言い、あざ笑いました。 老人は、 「なるほど、わしはー文銭かもしれん。それなら若い衆よ、お前さんたちはどれほどの値なのかな?」 とたずねます。 「俺たちの人生は前途洋々(ぜんとようよう)、金ぴかぴかの最高の小判だ」 という通事に老人は言いました。 「一文銭は、穴が空いているから先がよく見える。小判は、今の自分のまぶしさで先が見えん。転ばぬよう気を付けてくれ」 と言って論したそうです。  この世の輝きではなく、しっかリと往く先を見据えた生き方こそ、浄土宗『法然上人のお念仏のみ教え』にほかなりません。 西方極楽浄土への往生を願い、「南無阿弥陀仏」とお念仏すること。 「我が名を呼ぶもの、必ず全ての者を救い取る」とお誓いを立てて、仏となられた阿弥陀様です。だからこそお念仏の生活によって、わたし達は間違いなく救ってもらえるのです。生きる、死ぬという問題で思い煩うことがなく、わたしたちは毎日の生活に全力をつくせるのであります。