浄土宗神奈川教区テレホン法話 第998話

鎌倉組 長善寺 野中省道

今日から法然上人のお誕生についてお話しします。元祖法然上人は今をさかのぼりますことおよそ八八〇年前の昔、長承二年(一一三三)四月七日に、現在の岡山県の美作の国久米南条稲岡の荘にお生まれになりました。お父さんは漆間時国公といい、押領使の役職にありました。現在の警察署長にあたります。お母さんは秦氏といいまして、織物を専門職としていた由緒ある一族であったようです。お二人には長いことお子様が授かりませんでしたので、岩間の観音さまに願をかけ、剃刀を飲む夢をみてご懐妊されたと伝えられています。またお誕生の折りには、紫雲たなびく空から、二つの流れの白い幡が飛んできて庭の椋の木の梢にかかったいう伝説もあり、選ばれた御子の誕生を印象ずけています。法然さまのお誕生は単に、ひとりだけの、ご両親だけのお子さんのお誕生ではありませんでした。                  お父さんが早くなくなったあと、比叡山に登り、様々なご修行の中から専修念仏ただ一行を選びとって自分にふさわしい行とされ、四十三歳の浄土宗お開き以後、八十歳のご往生まで称名念仏一筋に進まれました。法然上人のもう一つの特徴は自分自身を徹底的にみつめられたかたであるということです。お念仏を選択された最大の理由が、阿弥陀佛の平等の慈悲によるお救いの対象の中心が凡夫、いわゆるそれまでの佛教では、およそ無縁とされた人々に置かれたことにあります。貧しくても、寄進などできなくても、日々の生活追われ、一つの戒めすら守られなくても、心から南無阿弥陀仏と、お称えすれば救ってくださる、それが阿弥陀仏の本願であると、お説きになったのであります。当時比叡山において『知恵第一の法然房』といわれましたが、自らは戒めは一つも守れず、こころは常に乱れ、仏の悟りには及びもつかない、凡夫にほかならいと、もうされたのであります。法然上人のお誕生により、八百八十年たった現在、全国七千か寺の称名念仏の浄土宗寺院を誕生させています。              
次回四月二十一日から、お釈迦様のお誕生についてお話します。