私たちが今日こうして生きているのは、目に見えない多くの人達の支えがあったからに他なりません。また、遠くは先祖から、どれだけ多くの命が重ねられてきたことか計り知れません。周囲の人たちや先祖の恩はもちろんのこと、それをつつむ阿弥陀様の広大な慈恩があることを忘れてはなりません。
お盆では餓鬼に施すという作法によって、自らの欲を離れ、その善行功徳を先祖に供養します。世話になった人たちへの感謝の贈り物や、施しという善行は、いずれも私利私欲を離れた純粋無垢な気持ちの表れといえます。見返りを期待しないからこそ相手に心が通じるのです。
人間には本来様々な欲望があります。仏教の布施は、その本質的な欲を少しでも離れ、自らのすがたを見つめ直すことを教えています。仏道修行の基本パタ?ンとして、六波羅蜜というものがあり、その第一番目に布施行があることからもわかるように、無欲の施しの精神こそ、仏教で一番基本となる大切なところなのです。この心には自ずと感謝と慈しみがともないます。浄土宗がよりどころとしている「浄土三部経」のうちの一つ『観無量寿経』の中には、「仏心とは大慈悲」とあります。無欲の感謝で贈り物をする心をもっと広げ、阿弥陀様のみ心に重ねてみてはいかがでしょうか。
次回は8月1日にお話が変わります。