今回は、「牛に引かれて善光寺参り」ということでお話をさせて頂きます。
信州・善光寺のそばに、とても欲深なお婆さんがおりまして、村ではこのお婆さんのことを鬼婆と呼んでおりました。ある日のこと、このお婆さんが、白い大きな布を洗濯しておりますと、牛が現われ、白い布を角に引っ掛けて逃げ出したのです。お婆さんは、この牛を追いかけますが、なかなか追いつきません。
そうこうしている中に、牛は善光寺の山門をくぐりました。お婆さん、初めて見る善光寺に見とれておりますと、牛を見失ってしまいました。すっかり疲れ果てたお婆さん、そこでぐっすり眠ってしまったのです。ふと気が付くと、本堂から有難いお説教が聞こえてくる。「この世で欲を貪る者は、生きながらの餓鬼である」
これを聞いたお婆さん、びっくりしてお婆さんの口から思わずお念仏の声が出た。すると、正面に観音様がスーと現れました。よく見ると肩から白い布が垂れかかっていました。
「ああ、そうか。さっきの牛はただの牛ではない。阿弥陀様が観音様をお遣わしなされ、私をここまで導いてくれたのだ」と、お婆さん、善光寺の本堂で時がたつのも忘れて念仏三昧。今までの鬼婆が仏婆に生まれ変わり村人からは仏婆と言われながら、その生涯を閉じたのです。
これが皆さんご存知の「牛に引かれて善光寺参り」の故事逸話ですが、実はこのウシというのは角のはえた「牛」ではなく、憂きうれいの憂き、「憂し」を表す言葉だとも伝えられております。人生に「憂きうれい」があるということは、それがきっかけでお寺に参り、お念仏を称える勝縁にも繋がる。「憂きつらき 悲し涙も み仏の 喚び召す声と 知りて嬉しき」
憂きつらき、悲しみ多きこの人生に、阿弥陀様の声なき声を聞きながら、お念仏の中にお互いが生きて参りたいものでございます。
次回は、8月21日にお話の内容が変わります。