浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1110
みなさまは厭離穢土 欣求浄土という言葉をご存知でしょうか。私たちが生きるこの娑婆世界を厭い離れ、阿弥陀様がいらっしゃる西方極楽浄土を切に願うという意味で、平安時代のお坊様、恵心僧都源信というお方の「往生要集」という書物に出てくるお言葉です。
もし、歴史にご興味を持たれている方は、お気づきになるかも知れません。かの徳川家康公はご自身の本陣の旗にこの八文字を掲げられ、終生座右の銘とされました。
お釈迦様は、この世の中は苦しみで満ち溢れているのだと仰せです。生まれる苦しみや老いる苦しみ、病になる苦しみや生まれたからには死という絶対的な終着があるという苦しみのことです。
我々はそれらの苦しみから逃れることが出来ません。しかし、お釈迦様はその教えの中で一つの救いの道をお示しくださいました。それが阿弥陀様にすべてをお任せするという南無阿弥陀仏をお唱えすることです。
死ということは、未来においても解決することの出来ない、生きとし生けるもの平等に降りかかる問題であると思います。
しかし、阿弥陀様にお救い頂けるご縁を結ぶ、南無阿弥陀仏をお唱えすることによって、西方極楽浄土へ往き生まれることができるのです。
法然上人は、このように仰っておいでです。「ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑ひなく、往生するぞと思ひとりて申すほかには、別の仔細候はず」
欣求浄土は、お念仏と共にあるのです。
次回は6月1日にお話がかわります。