浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1117話
連日お暑うございます。
今から35年ほど前でしょうか。
中学校の修学旅行で奈良を訪れ、薬師寺というお寺にお参りしたときのことです。バスを降りて、バスガイドさんの案内に従って、境内に入りますと、そこから、お寺のご案内は、薬師寺の僧侶の方に変わりました。
そのお坊さんは、五重塔の前まで私たちを引率してくると、いきなり軽快に、着物姿のまま、大きな丸石の上にポンと飛び乗ると、私達に向かって、
「みんな、よう来たね。お早うございます。」と、ハンドマイクなしに、良く通る声で、気さくな調子で話し始めました。
「よく声が通るなあ」と、驚ろいたことを覚えています。
そのあとの案内や説明の詳細は良く覚えていませんが、私達に仏教聖歌の一つを教えてくれ、その歌だけは今も忘れることはありません。
ブッダン サラナン ガッチャーミ
ダンマン サラナン ガッチャーミ
サンガン サラナン ガッチャーミ
この言葉はインドの古代語・パーリ語のお経で、『三帰依文』といいます。
手をきちんと、合掌をして、境内で、皆で大合唱をしました。
それから何週間かして、このお坊さんが、テレビに映っていてビックリ。
そのお坊さんは、かの有名な高田好胤上人だったのです。
自ら仏に帰依したてまつる。
自ら法に帰依したてまつる。
自ら僧に帰依したてまつる。
と、「三つへの帰依」を誓う言葉です。
これは、大乗であれ小乗であれ、またいかなる宗門宗派に属していようとも、仏教を信じる者であれば、必ず守らなければならないお誓いです。人間として生きていく上で、常に心の真ん中におかなければならない、いつも忘れてはならない根本精神、心構えをうたっています。
この世において、掛け替えのない最も尊いもの、最も大切にしなければならないもの、ということから、「宝」と例えられ、中国以来、わが国日本でも、これら三つを「仏・法・僧の三宝」と言い習わします。
次回は、この三帰依文の意味についてお話しいたします。
次回は8月11日にお話が変わります。