浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1154話

高座組 西光寺 三浦康志

10月も中旬となり秋も深まってまいりました。私の寺はのどかなところにあり、寺の近くにはまだまだたくさんの田んぼや畑が広がっておりますので、秋には田んぼが稲穂の黄金色に染まります。 『実るほどこうべを垂れる稲穂かな』という言葉がございます。田んぼの稲穂は実れば実るほど穂先をたらしますが、反対に、稲穂の実がない穂先は起き上がってきます。この言葉の意味は、人格の高い人ほど相手に対しての態度が謙虚で、特に中身のない人ほど自分を大きく見せたがる例えです。
つまり、おごりたかぶる心を持たず謙虚に生きなさい、ということです。
 謙虚であれば、感謝の気持ちも生まれます。現代では何もかもが当たり前のことのように思い込まれがちですが、当たり前のように思っていることは、実は当たり前ではなく、有難いことなのだということに気付くべきではないでしょうか。謙虚な気持ちを持てば、「してあげる」から「させていただく」、「してもらう」から「していただく」というようにお互いの考え方も少しずつ変わってくるはずです。
 例えば、介護を受ける老人がいて、その介護に携わる人は、この老人が自分の前にいるおかげで、介護という尊い行為ができるわけで、「介護させていただく」という謙虚なこころが自然と芽生えるのであります。「我が我が」と我を張らず、一歩ひいて謙虚になれば、今まで見えていなかったものも見えてくるのではないでしょうか。
 あくまで、自分は愚かな人間だということを自覚して、そのような心で阿弥陀様にすべてをおまかせし、お念仏を唱えていれば、いつか必ず迎えねばならない臨終の際には間違いなく極楽往生することができますので、日々お念仏に励みたいものです。

 

次回は11月の初めにお話が変わります。