浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1165話

高座組極楽寺 稗貫 光遠

「浄土宗神奈川教区テレホン法話」第1165話、お電話頂き有難うございます。今日から四月、新年度を迎え、新しい旅立ちをされる方も多いのではないかと思います。今回は「人生の目的」ということでお話をさせて頂きます。
この間、新聞を見ていたら、こんな詩が掲載されておりました。
「人間、何の為に生まれた。身体の不自由な人は、自分が何の為に生きているのか、なんて思ったり。私も、何の為に生きているのか、勉強するためか、遊ぶためか、ただ生きる為に生まれてきたのか、よく分からない。人間、何の為に、どうして生れてきたの、最後はみんな無くなっちゃうのに」
これは茨城県の小学校4年生の女の子が書いた「人間」という詩です。きっと、この子のそばに、病気や何かで、身体の不自由な方がいらっしゃるのかも知れません。そんなご苦労をされている姿、苦しみだけの人生を見ていると、人間は、みんな死んで無くなってしまうのに、この人は、毎日、何の為に生きているのだろうか、また女の子自身も、何の為に生きているのか、人生の目的がよくわからないと言うのです。
皆さん、人間は何の為に生きているのでしょうか。食べて寝て、排泄をして、決して生きる為に生きている訳ではありません。美味しいものを食べる為?、大きな家に住む為?、きれいな服を着る為?。「人間、何の為に生れてきたの、最後は無くなっちゃうのに」、この女の子の言葉の前には、すべてが空しく聞こえます。
人間は何の為に生まれ、何をする為に今を生きているのか。この人生の目的がはっきりしないと、すべてがぼやけてしまいます。また人生の目的、ゴールをはっきりさせることの出来る宗教によって、初めて私にしかできない人生の役割や、使命、生きがいが出て来るのです。
仏の教えに出会い、お念仏の中にアミダ仏様のお守りやお導きを頂き、励まされ勇気づけられることによって、どんな苦しみや悲しみにも堪えて行くことが出来る。そして最後、臨終の夕べにはアミダ仏様のお迎えを頂き、仏の国、永遠の世界に生まれ変わり完成された人格者、仏と成らさせて頂くことが出来るのです。
 どうぞ、ご一緒にお念仏に励んで参りましょう。
次回は、四月中ごろにお話の内容が変わります。またお電話ください。