浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1188話

三月も後半に入りました。仕事において決算を行ったり、学生でいえば年度替り、来月からの新しい環境に向けての準備などで忙しい方も多いことでしょう。そして気持ちを新たに自身の座右の銘をふり返る人もいることでしょう。因みに私の座右の銘は一日一善です。
ここである人の話をさせていただきます。ある人とは昨年お亡くなりになった日本を代表する俳優、高倉健さんです。健さんの訃報が報道される中で、取り上げられていた座右の銘があります。それは「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」というものでした。健さんはこのお言葉を比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉師から授かったそうです。
このお言葉の元となったお経である、私たちが特に大事にしている無量寿経に、 「我行精進 忍終不悔」とあり、「わが行、精進にして、忍びてついに悔いじ」と読むことが出来ます。そしてこのお言葉の前には「仮令身止 諸苦毒中」、「たとえ身を苦しみに満ちた世界に沈めようとも」と、あります。これは私たちが普段、お念仏を通じて手を合わせる阿弥陀様、その前身である法蔵菩薩様が(阿弥陀)仏になる為、どんな苦難の中に身を投じようとも、精進・忍耐をもって必ず理想の仏になるぞと、自身の修行に対しての姿勢が説かれた、無量寿経の一説です。やはり「わが行、精進にして、忍びてついに悔いじ」というこのお言葉は、法蔵菩薩の不退転の意思を感じることができ、だからこそ高倉健さんは俳優としての人生を歩む上で精進を怠らないようにと、座右の銘にされたのではないでしょうか。
さて、話は変わり三月の後半といえばお彼岸です。春分の日には太陽が真西に沈む時であるとされています。阿弥陀様は西の彼方にいらっしゃる仏であると、信じる私たちにとってお彼岸とは、お墓参りなどを通して、気持ちを新たに阿弥陀様、またご先祖様に手を合わせ、南無阿弥陀仏とお念仏を唱えて、供養を申し上げるとともに、座右の銘が意味するところの、自らを激励したり、戒めたりと、お彼岸とは自らを振り返る期間でもあるのかなと、思うところであります。

次回は四月の始めにお話がかわります。