浄土宗神奈川教区テレホン法話 第702話
先日、私は吉田寺という奈良県の斑鳩にある「ぽっくり寺」で有名なお寺にお参りに行ってまいりました。近くには法隆寺もあり、田園地帯の中にあるとても落ちついた雰囲気のお寺です。
しかし、なぜ吉田寺が「ぽっくり寺」なのかと不思議に思うところですが、それはご住職のお話によると、永延元年(987年)恵心僧都源信が、自分の母の臨終の時に除魔の祈願をした衣をきせると何の苦しみもなく往生されたことの由来により、長患いをせず、周りの者に世話をかけることなく極楽往生できるご利益を信仰されてきたからだそうです。葬儀の時に「この人は大往生だ」などと言われる人がいますが、本当にぽっくりと人生の最後を迎えられたら、まさに理想的な大往生かもしれません。
最近、高齢化社会と言われている中、中年と言われている40歳から50歳前後の方が突然のように亡くなられるケースも少なくないと感じております。
私たちの生活の中で、「若くして、病魔や災難などとの戦いの末、愛する家族を残して、息を引き取る。」という思わず耳を塞ぎたくなるようなことも、誰もが年齢を問わず、いつ、どこで、どのようにかかわり合うか分かりません。
先程の大往生とは対照的です。
ぽっくり寺は人間の死というものに対して、私たちの不安を取り除いてくれる「お念仏」のお教えに積極的に向き合わせて頂けるお寺です。そうさせて頂くことによって本尊の阿弥陀さまの前でお念仏を申した時、本当に私たちを導いて下さると確信が持て、同時にお念仏の有り難さを実感させて頂けます。
しかし、み仏さまのご縁がない方が突然、生・老・病・死の四苦が目の前に立ちはだかったとしたら、耳を塞いだくらいではどうすることもできません。ぽっくり往くには先ずみ仏さまのご縁を結ばせて頂かなければいけません。
そんな方にはぜひお念仏をお勧めいたします。