浄土宗神奈川教区テレホン法話 第725話

 今回はお念仏を申す数について多生のこだわりを持って話を進めてまいります。まず私の体験をご紹介させていただきます。
 もう20年も前の事になりましたが、私の師匠寺であります横浜・菊名にございます蓮勝寺の礼拝会のお仲間で、インドへと仏跡参拝の計画が持ち上がりました。同時に成道の地ブッダガヤの大塔のかたわらで礼拝行をしようと、礼拝の数に区切り良くとのことで、目標を大きく10000礼となりました。それからが大変でございました。時には一回の礼拝行で400礼と励んだ事もありました。一礼するのに20秒かかります。一分間で3礼でき、400礼となりますとたっぷり2時間以上はかかる事になります。私も強健有力まだ力みなぎる若いころでありましたから翌日は膝が痛くなる程度でしたが、私より歳を重ねた女性のお仲間は400礼の翌日の事、二階の階段を降りようとしたら足腰が痛くて立って降りることが出来ず、いざって階段を降りたと聞いております。まさしく厳しい修行の一時でもありました。10000礼へとあと10礼を残しましてインドへと出発することができ、目的地、釈尊成道の地・ブッダガヤの大塔のかたわらで万国の仏教との方々と共に、大地に五体投地を繰り返し、礼拝行の実践をすることがかないました。
 釈尊の教えが陸づたいに中国へと、善導大師によって浄土教が大成され、そして海を渡って我国日本へと伝わり、宗祖法然上人により、南無阿弥陀仏のお名号を称えること、声を出してお念仏を申すことによって、凡人である私共もお浄土に救われると、お説きになられました。南無阿弥陀仏のお名号が声を出してお念仏となり、三唱礼を称えながらの礼拝行、いずれにしてもお念仏を申すことに変わりはございません。お念仏の数も少ないより多い方が結構と存じます。
 どうぞお念仏を申す生活の中、安らかな気持ちをもってえ日々の生活を続けようではありませんか。

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