浄土宗神奈川教区テレホン法話 第910話
今年の五月のことでした。寺の庭先で掃除をしていると、一人のご老人が境内へ入ってこられました。なんとなくお顔に見覚えのある方で、私を見てにっこりと会釈されたところを見ると、その方も私を覚えていてくれたようでした。「どちらへお参りですか。」と尋ねた時、「あっ、あの時の・・・」と、その時の場面が思い出されてきたのでした。
あれは数年前の秋のお彼岸の頃のことでした。この方は相模原から年に一二度この寺を訪れ、ここに眠る若くして亡くなられた友人の墓参に来られたのです。
お話によれば、この方には四人の親友がいたそうです。しかし月日が流れてゆくうちに、坂ノ下、北鎌倉、そしてこちらと三ヵ所の墓参をして回るようになったそうです。
一番仲の良かったこの寺に眠る友人のところへは、もう四十年以上通われているとのことでした。
三人の墓参を済ませ、帰りにもう一人の友人と会うのが何よりの楽しみです、とおっしゃっていました。そのことを思い出し、私は咄嗟に「大船のお友達と今日は一杯なさるのですね。」と口にだしてしまいました。
「実は、残念ながら彼も去年亡くなってしまったのですよ。」私の配慮に欠けた言葉に対して、その方は一瞬の落胆の様子も見せずに、そう答えてくれました。そしてお悔やみの気持ちを述べた私に対し、「こうして四人の墓参ができて、私こそ嬉しいのですよ。」と優しい笑顔で語ってくれました。
その言葉にはこの方の様々な気持ちが込められているに違いありません。しかし何よりこの言葉から伝わってきたことは、四人の友人が以前と変わらずその方と共にあり、彼らとの縁を頂けたからこそ今の自分があるのだという感謝の気持ちでした。
そして同時に、供養ということを通して、今は亡き親友との友情をさらに深くしているように感じずにはいられませんでした。