浄土宗神奈川教区テレホン法話 第964話

五月に入りました。この時期になりますと、五月病にかかる人がいます。試験勉強から開放された気のゆるみ、目的を無くした姿が、その原因のようです。また新しい人間関係や生活に悩んでいるのかもしれません。 このように一つの壁にぶつかった時に、どう立ち向かうかを教えてこなかった親にも、責任があるかもしれません。

先月、私のお寺で鶯が鳴きました。まだ、子供の鶯なのでしょうか?「ホーケ・ホーケ」と鳴くだけで、なかなか「ホーホケキョ」と上手く鳴くことは出来ません。昔の和歌に、 「鳴く声の良(よ)きも悪(あ)しきもその親の 教えによるぞ藪のうぐいす」 と言う歌がございます。ウグイスがきれいな声で鳴くようになるのも、親鳥の教え方一つであります。教え方が悪かったり、いい加減に教えたならば、いつまでたってもいい声では鳴かないのである。ということを歌った歌であります。 これは、我々人間の生活にも当てはまることではないでしょうか?親がしっかり子供を教えなければ、子供は必ず迷います。逆に、親がしっかりしておれば、子供は迷うことは無いと思うのであります。

阿弥陀様は私達が気付かなくとも、我々一人一人を見守っていて下さっておられます。私達が阿弥陀様を拝み、その名を呼ぶならば、きっと阿弥陀様も私達を念じ、見守って下さるのであります。法然上人は御法語の中で、 「衆生、仏を禮すれば、佛これを見たまふ。衆生、佛を唱ふれば、佛これを聞き給ふ。
衆生、佛を念ずれば、佛も衆生を念じ給ふ。」
とおしゃっておられます。
南無阿弥陀仏のお念仏をお唱えすれば必ず、衆生と阿弥陀様が一つになって、親子の如き親しい縁が出来るのであると言うことであります。南無阿弥陀仏と、如来の名を称えるという仏の本願に叶う行いをする時、きっと私達衆生は、親しく阿弥陀様とつながるのであります。
共々にお念仏を唱えましょう。

「次回は5月11日にお話がかわります。」