寺の本堂の畳の上を注意深く見ていると、時折、どこから入ってきたのか小さな虫を見つけることがあります。なぜか大概がカメムシです。生きている虫もいれば死んでしまっている虫もいます。虫がいること自体、別に変わったことではないので、以前はほとんど気にも留めませんでしたが、ある時、死んだ虫をよく見てみると、手足を合わせて、あたかも人間が仏様を拝むときのように合掌しているように見えたのです。
その時は、たまたまその虫だけそのようになっているのかなと思いましたが、そのあと、虫のなきがらを見つけては手足の様子を見てみると、やはり合掌しているのです。本堂のご本尊様のみまえ御前で合掌しながら命尽きている虫。その姿に、不思議な思いとともに尊いものを感じました。
仏様の教えでは、生きとし生けるものが生と死を繰り返す6つの世界を六道といいます。その六道とは地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道の6つです。地獄道とは生き物を殺したり盗みを働いたものがおとされるところ。餓鬼道とはむさぼり食ったり物おしみしたものがおとされるところ。畜生道とは鳥やけものや虫。修羅道とは争ってばかりいるものがおとされるところ。そして人間道の人間だけが唯一仏様の教えを頂くことができるのです。天道の天の住人は毎日が楽しみの連続ですが、いつかは天を去らなければならない日がくるのではないかとおびえています。ご本尊様の御前で命尽きた虫は、あたかも「今度生まれ変わるのならば是非とも人間となって仏様の教えを頂きたい」と願っているように見えました。
私たちは数多くの生けるものの中で人間として生を受けました。極めてまれなことであり、誠に有り難いことです。しかし自分ははたして命尽きる時に、あの虫のように手を合わせてその時を迎えることができるだろうか。一匹の虫のなきがらに考えさせられることがありました。
次回は11月11日にお話がかわります。