浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1113

最近では忍耐という言葉もあまり聞かなくなったように感じます。それに伴って、キレるとか逆ギレなど反対の言葉をよく聞きます。私が子供の頃には、近所の人、知らない人など、誰もが他人を注意したものであります。今の時代、他人の子供を注意しようものなら、親から感謝されるどころか、逆に余計なお世話と疎まれるのが、関の山かもしれません。
また、若者を注意しようものなら、逆に殴られて怪我をしたとか、亡くなってしまった。などの最近よくある事件になってしまうかもしれません。
これでは注意する方も、命がけです。
先日、ある中学校に行く用がございまして、教室の前の廊下を通りましたら、騒々しいので教室の中を見ますと、生徒が思い思いに大きな声で会話をしていました。授業中ではないんだなと思って一緒にいた先生に聞きますと、授業中ですよ、という答えです。私が驚くと、先生はあそこです。と教えてくれました。先生が授業を進めていても、まったく聞くそぶりもありません。先生もまた注意しないのです。
やはり、小さい時から静かにすべき時や、他人の迷惑となる場所では我慢をさせ、忍耐力を養うことが大切です。
私達の人生には、自分の力ではどうにもならない事がございます。とかく私達は物事が思い通りになりますと、ご機嫌でいられますが、ひとたび自分の意に反する事が起きますと、落胆したり、自暴自棄になったり、他人のせいにしたりいたしますが、これは正しい信仰を持っていないからではないでしょうか。人間は信仰を持つことで強くなれるのです。

「憂きことも 辛き事をも 安らかに 忍ぶは 弥陀のお慈悲なりけり」

この歌のように阿弥陀様のお慈悲をいただきますと、何事にもひるまない、力強い忍耐力が出てくるのです。
その阿弥陀様のお慈悲をいただくためには、南無阿弥陀仏とお唱えすればよいのです。是非、生活の土台に信仰をおいて、お念仏を称え、落ち着いた、美しい心を持って、毎日の生活を送っていただきたいと存じます。