目に青葉の季節になりました。今回は、テレホン法話が始まって丁度千話目です。大きな節目に巡りあいました。
私は毎日、夕方犬の散歩に出かけます。お寺の裏山を上がって行くと、南に相模湾、北に丹沢山塊、西に富士山や箱根の山々が美しい姿を見せてくれます。行きかう人もなく、全く静寂の中を歩きます。もちろん、春夏秋冬や光の具合で、同じ風景を見ることはありません。また、漆黒の闇を歩く時もあれば、星空やお月様の光に導かれながら歩く時もあります。一日の煩雑さから解放され、気持ちのよいひと時です。自然の中に包まれていると、自分の存在の小さなことに気付き、変なこだわりからもすっと解放され救われる思いがします。
山間の為日の出を見ることはできませんが、夕日が西の箱根連山に沈む時に出会うと何とも美しく、古の人々がそこに極楽浄土を感じたことがよく解かります。そして、お月様の光を受けるとほっと安心します。まさに、浄土宗の宗歌になっています法然上人の月影のお歌「月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人のこころにぞすむ」そのものです。
考えてみますと、私達はこの世に生を受けて、当たり前のように太陽や水の恵みを受け、天地自然からの頂き物でいのちを育んでいます。しかし、それを心の底から感じ取れなければ感謝とはならず、当たり前となってしまうでしょう。私達は、日々の生活の中で、気付くということが、まず一番大切ではないでしょうか。
自分に気付き、他者に気付き、そして私達に与え続けてくれる森羅万象の働きに気付く。その大きな大元の力に気付くということは、
阿弥陀様の存在に気付くことにつながるのです。そして、それは、信仰心を育む心の目覚めに辿り着くのではないでしょうか。
次回は5月11日にお話がかわります。