浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1008話

京浜組 大徳寺 加藤 光成

お念仏の境地です元祖法然上人後御ユイクン一枚起請文曰くもろこし我朝にもろもろの知者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。又学問をして念の心をさとりて申す念佛にもあらず。ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀佛と申してうたがいなく、往生するぞと思いとりて申すほかには、別の子細そうらはず。但し三心四修と申すことの候は、皆決定して、南無阿弥陀佛にて往生するぞと、思ふうちにこもり候なり。此外に奥深きことを在ぜば、二尊のあはれみにはずれ、本願にもれ候べし。念佛を信ぜん人はたとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無知のともながらに同じうして、知者のふるまいをせずしてただ一向に念佛すべし。ショウのために両手印をもってす。浄土宗の安心起行此一紙に至極せり。源空が所存此外に全く別儀を在せず。滅後の邪義を防がんがために所存を記しおわんぬ。でございます。此一枚起請文の中で得に注目する部分がございますそれは知者のふるまいをせずしてただ一向に念佛すべしです。なにはとあれ我々人間は所詮知者と言っても全知全能の阿弥陀様の前ではどんぐりの背比べとなんら変わりはございません、ただそれでも一生懸命誠実に御念佛を気持ちお込めてお唱えすれば阿弥陀様は私達のきもちをくんでくださり仏界にお連れしていただきます。念仏をお唱えすることは阿弥陀様の名号をおとなえするだけでなくすべてを救ってくださることでもあります。最後に次回は8月1日にお話がかわります。