小田原組 春光院 石川 邦雄
浄土宗神奈川教区テレホン法話第1009話。8月のお盆を真近かに控え、あらためて手を合わせること、<合掌>についてお話しいたします。
「合掌の心と形」
私たちは、食事のたびに手を合わせます。食べものをつくってくれた人への感謝の気持ちをこめて、天地の恵みへの感謝の気持ちをこめて手を合わせます。
私たちは、毎朝、お仏壇やお寺のみ仏さまの前で手を合わせます。今日一日の無事を祈り、ご先祖やこの世のもろびと諸人のしあわせ幸福を祈って手を合わせます。
手を合わせることを合掌といいます。合掌の<形>は単なる形式ではありません。感謝や祈りという敬けんな<心>を<形>に表わしたものが合掌です。私たちが真心をこめ、清々しい姿で合掌する時、<心>と<形>は一つになります。
しかし私たち人間の心は、常に純粋でいられる訳ではありません。そう強いものでもありません。私たちの心は、美しくもなれば、醜くもなります。移ろいやすくもあります。敬けんな心を忘れることだってあります。そんな時、合掌の<形>は単なる形式になります。実は、ここが大切なところです。
たとえ単なる形式になることがあっても、その<形>を大事に持続させることです。大事に持続させていれば、必ず<形>が敬けんな<心>を呼びさましてくれます。<形>が<心>をいざ誘なってくれるのです。
お念仏を称えるということも同じことです。み仏を想う<心>が、お念仏という<形><声>に表われます。お念仏という<形><声>が、み仏を想う<心>を誘なってくれるのです。
さあ、ご一緒に手を合わせ、清々しい合掌の姿で、お念仏を称えてみませんか。み仏よ、そのかぎりなき知恵と慈悲のみ光をもて我等を導きたまわんことを…。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
次回は、8月11日にお話がかわります。