浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1037話


中郡組 大運寺 石垣 一彦
 人間の行いというのは「自業自得」といったりします。何かに失敗すると、もともといい加減なことをしたから「自業自得」といいますよね。この世界では「自業自得、因果応報」というのは大原則です。自分が原因を作ればその原因によって結果がでます。良いことをすれば良い事が、悪いことをすれば悪い事が。自分が行なった業。その報いは自らが受けなければならないのです。そのような中にあって、この私が人間に生れさせていただいたということが、いったいどれほど尊いご縁であるか、ということを自ら受け取っていただきたいのであります。今人間として命をいただいているということは、どれほど有難いことであるか。人の身をうけることがどれほど大変なことか、ということをお釈迦さまが、たとえておっしゃっています。
お釈迦さまが弟子を連れて修行なさったり、お話をされたりしておられる時、大地の砂を手に取られて、ご自分の手にサラサラとかけられました。そうすると爪の上にほんのわずか砂が残りました。お釈迦さまは「この砂と大地の砂とくらべればどちらが多いか」とお尋ねになりました。お弟子さんは、「大地の砂のほうが遥かにおおございます」と答えられた。するとお釈迦さまは、「その通りであるけれども、生きとしいけるものすべての中で、人間の世界に命を受けるものはこの砂の数しかないのです。三悪道という地獄、餓鬼、畜生、という世界に生まれ変わる。そこへ行く人は大地の砂の数ほど多いのだよ。だから人間の世界に生れた間に迷いの世界を抜け出していく、という心を起さねばならない」と、このように示されたのであります。私たちは、六道輪廻の世界をぐるぐるめぐって、今人間の世界に命をいただいていると、お受け取りいただくことが大切であります。