浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1040話
小田原組 大見寺 木村敦英
今回もお釈迦様のお言葉を紹介します。
お釈迦様の多くの弟子の中にチュラパンタカという人がいました。兄のマハーパンタカという人は非常な秀才だったそうですが、チュラパンタカは生まれつき愚鈍で、理解が遅く、お釈迦様の弟子の中では落ちこぼれの、落第生のような人だったようです。
なんとかして彼を一人前の修行僧にしてやろうとした兄も、簡単な詩の一句も中々憶えることができない彼の状態に、ついに我慢しきれなくなって、教団から追い出してしまいました。途方に暮れていたチュラパンタカに気づいたのはお釈迦様でした。
「チュラパンタカよ、お前は今頃どこへ行くのか。」
お釈迦様にこう尋ねられて、彼が兄に見放されたことを語ると、お釈迦様は、
「チュラパンタカよ、お前は私について出家したのだ。兄に追われたのなら、どうして私の所に来ないのか。さあ、私の所に来るがよい。」と言って連れ帰りました。そして自分のもとを訪れる客の履き物の汚れを払わせることに専念させました。
毎日やってくる客の履き物は、いくら汚れを払わせてもまた汚れてきます。その繰り返しの中でやがてチュラパンタカは、心の汚れ、つまり煩悩を清めることも同じように難しいのだということを理解し、阿羅漢と呼ばれる聖者の位にのぼったといいます。
この話の中でお釈迦様がお示しになっているのは、どのような人にも真理を悟る力と方法があるということではないでしょうか。兄にも見放され教団を追い出された愚かなチュラパンタカにも、その力量、特性に見合ったやり方で地道な努力を続けていけば、やがては救われるのだということです。この力に見合った易しい行いの継続という道は、われわれ浄土宗のお念仏の教えにも通じていくものだと思います。来年平成23年は、その浄土宗の宗祖法然上人がお亡くなりになって800回忌の年に当たります。次回6月21日に変わる次のお話は、その法然上人のお言葉を紹介したいと思います。