浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1054話

私が僧侶になったばかりの頃、私は掃除をするのが苦手で、秋の落ち葉の季節など、掃いても掃いても枯葉が落ちてイヤになり、トイレ掃除の時などは、気分も落ちこみ、自分の部屋に到っては、ろくに掃除もせずに物がたまる一方で大切な書類なども見つからなくなる始末でした。私が僧階を取得した時に、尊敬する師僧に言われた言葉が「寺院で生活する者は、一に掃除、二に勤行、三に学問が大切である」と教わりました。しかしながら掃除に関しては「イヤだなぁ、大変だなぁ」という気持ちが浮かび一向に捗りませんでした。
ある時、お檀家さん達が集まって行う寺院清掃の時に、あるお檀家さんが便器を掃除していて、私が「便器は特に汚れているので大変ですね」と問いかけたところ、そのお檀家さんは「便器のような汚れた所を掃除するのは大変だけど、みんなのためにすることなら自分が汚れたって構わない。汚れてる所ほど掃除し終わった時は、心が清らかになります」とおっしゃいました。私はその時、大変感動して、いままで自分の掃除に対する姿勢は何と愚かな事であったろうと思いました。そういえば、テレビである女優さんが「掃除をしたキレイな家に幸せはやってきます」と話していた事を思いだし、その当時は「何言ってるんだか」と聞いておりましたが、この時ばかりは、意味が分かる気がしました。家がキレイだから幸せはやってくるという事ではなくて、掃除をする事により、自分の心が清らかになるので幸せになるという事なのでしょう。私の師僧も「心が清らかでない限り仏道を歩んでも意味がない」という事を言いたかったのだと思います。
今では、あれほど苦手だった掃除も自ら進んで行うようになり、1日の掃除に割く時間も徐々に増えていきました。これからもできる限り掃除の時間を増やして、それと共に、自らの心も、もっともっと掃除して清らかにしていきたいと思います。