浄土宗の教えに、所求(ショグ)、所帰(ショキ)、去行(コギョウ)と云う言葉がございます。
所求とは求める所と書きますが、私たちが何を求めて進んでいくのか?と云うこと。
所帰とは帰依する所で、私たちは何を信じて生きていくのか?と云うこと。
去行は、「去る」に「行う」と書きまして、どのような修行を実践していくのか?
そう云った意味になります。
私たちが求める所、目指すべき場所とはどこでしょうか?――それは阿彌陀様がいらっしゃる清らかな佛国土、西方極楽浄土です。
では、私たちはどなたに帰依して生きていくのか?――それは阿彌陀様ですね。
もう一つの去行、実践法は、「南無阿彌陀佛」と口にお称えするお念佛です。南無とは帰依し奉ると云うことで、身も心も捧げます、と云う意味です。
佛教の経典には阿彌陀様以外にも様々な佛様が登場し、それぞれの佛国土をかまえておられます。それなのに、なぜ私たちは阿彌陀様に帰依するのでしょうか?――
それは阿彌陀様だけが、佛となる以前の修行時代に、全ての人々をこのように救いたい!と云う48願を誓われ、そして人間の想像を絶するはるかはるかに長きにわたる時間、菩薩としての修行を重ねられた結果、ついには阿彌陀佛と云う佛となられたからであります。
阿彌陀様は「南無阿彌陀佛と私に救いを求めてくる者はどんな悪人でも必ず救いとる」と誓ってくださいました。そして、私たちの今生での命が尽きる時には、阿彌陀様おん自ら、私たちをお迎えくださり、悩み苦しみ続ける世界から、西方極楽浄土へと導いてくださるのです。
逆に申しますと、阿彌陀様以外には、いくつもの罪をくり返し犯し続ける私たちのような凡夫をも救い、自らの佛国土に迎え入れる仏様はどこにもいらっしゃいません。
阿彌陀様と云う佛様がいらしたこと自体が奇跡であり感動であります。そして、その阿彌陀様が西方極楽浄土におわしますとハッキリ示してくださったのは、他ならぬお釈迦様であります。
混迷の最中にある日本に私たちはおりますが、幸いにも、自分一人ではなく他者をも救いたいと云う大乗佛教の精神を、阿彌陀様、お釈迦様、佛教のお祖師様方から受け継いで生きていくことができます。
み教えに巡り合った事に感謝をいたし、よくお念佛申し上げながら進んで参りましょう。
次回は11月21日にお話がかわります。