浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1105話

「瀉瓶相承(しゃびょう・そうじょう)」

極楽寺 稗貫 光遠 浄土宗神奈川教区、テレホン法話第1105話、お電話頂き有難うございます。今回は、「瀉瓶相承」ということでお話をさせて頂きます。
「瀉瓶相承」というのは、お師匠様とお弟子の間で行われる教えの伝承のことです。それは丁度、一つの器に入っているお水を別の器に移すように、教えのすべてが伝わることを意味しています。
私たちのお念仏の教えは、お釈迦様を起点として、インドから中国、日本へと三国伝来され、お念仏のみ教えは、法然上人を通じ、代々受け継がれ、変わることなく伝えられて来ました。
実はこの間、「○○○」というお酒の空瓶、空の一升瓶に量販店の紙パックのお酒を注ぎ、一器のお酒を一器の器に移すが如く注いで飲んでみました。少しは「○○○」のような味に変わっているかと思いましたが、中身は同じ紙パックのお酒でした。どんなに器が変わっても、中身の味、内容は変わりません。いや、変わってはならないのであります。
お念仏の教えは、お釈迦様がお弟子の阿難に、はるか後の世までも伝えてくれと、付属をされた教えです。言うなれば、釈迦出世の本懐の教えがお念仏です。お釈迦様がこの世にお出まし頂いたその目的は、お念仏を伝えることにありました。
お釈迦様は、80年のご生涯の中で、8万4千の法門、数多くのみ教えを説かれましたが、そのすべての教えは、みんなお念仏に帰結して行く。全仏教の結論が南無阿弥陀仏のお念仏だと言っても過言ではありません。まさに大乗、究竟なる教え、せんじ詰めた教えがお念仏なのです。
そして、その教えの根本は、愚者の自覚です。人間はみんな愚かである。完全な人は誰もいない。欲が深くて欲張りで、すぐに腹を立て、あやまち失敗を繰り返しているのが人間です。また、そうした人間の本質を見つめ、自覚した時、初めて反省、懺悔が出て本願のお念仏に直結して行くのです。
本願のお念仏によって、すべての人間が分け隔てなく平等に救われて行く教えが、「瀉瓶相承」、間違いなく伝えられているであります。

次回は、4月11日にお話の内容が変わります。またお電話ください。