浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1119話

すべての命が、独り身では、一寸先も生きていくことは出来ません。
互いの命が、からまりあって、支え合って、助け合って生きているのが私たちの生命の世界です。
ヒマラヤを越えて渡ってきた伝道師から、この教えを頂いた中華人は、訳して「宇宙」という熟語を作りました。
漢和辞典を引くと、「宇」とは「時間」、時の流れを表し、「宙」とは「空間」、生きとし生ける一切の衆生が、生まれ、暮らし、死んでいく、この私たちを取り囲む一切の空間を表しています。
仏教を意味する「卍」とは、この「宇」と「宙」が私を中心として交わり、それが「諸行無常」「諸方無我」の中で、常に移ろいゆく世界の中で、「どう生きるのかを説いた教え」と表現しています。
玄奘三蔵は、天竺での留学後、「阿弥陀」を翻訳し、「阿弥陀とは無量寿、無量光也」と伝えました。
私たちの命のすべてが、計り知ることの出来ない無量の尊い命を、過去からも。未来からも頂いてこそ、生きてゆけるのです。
草木や魚や鳥や動物や、無限の数え切れない命が、からまりあって、支え合ってしか、生きてゆけないのです。
人の世界の中でさえ、男がいて女いて、お年よりもいれば子供もいて、健康な方もいれば、病気を抱えながら生きていく人たち、すべての一切衆生が、知ろうが知るまいが、互いに関わりあってしか、生きてゆけないのです。
お盆のお経の中、「破地獄偈」という偈文の中で、お釈迦様は、弟子の阿難尊者に「若し人、三世一切の仏をよく知りたいと欲せば、まさに、法界の性を観ずべし。」と、教えています。
どんな命でも、その一つ一つの命が、どのように生き、どのように他の命と関わっているのか、心の眼を開いて観察していったとき、おのずと阿弥陀ホトケの無量寿、無量光の働きが見えてくると諭しました。
ですから、すべての命が尊いと思える「慈しみの心をはぐくみなさい」と、地獄や餓鬼道に落ちる命をも、すくい取りたい、「助け参らせ」と、施餓鬼の行事が2500年間、綿々と受け継がれてきたのです。
今年のお盆、皆様のお家では、家族うち揃って、盛大に迎えることが出来ましたか。

次回は9月1日にお話が変わります。