浄土宗神奈川教区テレホン法話 第680話
私達は、手足のある人は、手足のある事を忘れています。手足の無い人が、手足の恩恵を一番良く知っています。頭も随分重いそうですが、誰でも自分の頭が重いなんて思っている人はいないでしょう。その癖、その重い頭を一番上に乗せて歩き廻っている。そして、自分の頭が上についている事も考えて見た事も無い程、あまりに常識化して忘れています。人間は、この忘れている時、最も偉大なるものの中へ自分までが没入している事が多い様です。
眼は遠くを見る事が出来ません、ご馳走も食べるまでは、あれを食べよう、これを食べようと考えますが食べてしまうと、もう忘れてしまい、グーグー寝込んでしまう人もいます。ご本人は、全く感謝の気持ちなどなく、気づかないのです。
水の中の魚は「水」を忘れています。水が見えない、水に守られ、水に生かされているのに。水の中で産まれ、水の中で育ち、水の中で死んで行く、だから、「水」と言う事を見た事も考えた事もない、私達人間にも同じ様な事が言えると思います。人間が引力の中で住み空気の中に住んで、引力が有った。空気が有ったと真理づけをするが、この真理が忘れられるほど自然は偉大なのです。理知的に物を考えれば考える程、ますます大きな宇宙の自然の現象に警歎せずにはおられません。また永遠に続いていく事を考えれば考えるほど、生きている事が有難く、合掌し、拝み、私達は、生かされているのである事を感謝せずにはおられません。